度々書いているけれど

わたしは子育てが本当に苦手。

 

それに気づいたのは5年前に身体をこわしてから。

そして、子どもと遊ぶのが大得意の今のパートナーが我が家に関わり始めてくれてさらに自分の母親力の低さを目の当たりにした。笑

 

「苦手なことは頼ってよ」

っていう彼の言葉に

 

素直にありがとうって思えなかったのを覚えてる。

だって

こどもたちがもっと小さいときはむしろ得意だとおもってた。

 

 

いや、

これは、得意だと思いたかった、んだよねきっと。

 

いやー悔しかったー

勝とうとしてたー

 

とほほ、、、笑

 

 

 

そして

母親力、だなんて書いてみたけれど、うーん

 

 

世間一般の母親はこうあるべき像を満たすチカラ

 

 

が正解かも。

 

お母さんしながら何度も

 

お母さんやめたい

 

って思ったよ。

 

 

 

 

まず、夜泣き。

朝まで寝られない、、、何回起きるんじゃー夜中に。

アレは修行だと思った。

 

朝まで寝たい

 

ってささやかな夢だったもん。

 

 

そして、やりたいことをさまたげられるストレス。

なにも自分の好きなことだけじゃなくて、

 

洗濯物たたむ

ごはんをつくる

 

など、必要最低限の家事だって最後まで完遂できないじゃないの、、、。

 

 

 

お母さんやめたくなるとか、

子どもが欲しくてもできない人もいるんだから、とか

じゃあなんで母親になったの無責任な、とか

そういうこと言われてしまいそうだけれど、ごめんなさいそこは別問題。

 

あと、

 

お母さんはみんなやってるんだから

 

これも呪いです。

 

 

 

それでも、こどもの寝顔はかわいいとおもうし、成長にはうれしくなる。

 

我が子のことが嫌いなわけじゃない

ただ、過ごし方は考えないとつぶれちゃう。

 

もうこれは、性質だと思う。

小さなこどもとの時間がそんなに苦にならない人もいるんだから。

 

 

 

で、冒頭にも書いた通り、

 

こどもと過ごすことを得意と思いたかったわたし

ですから

 

当然、

 

こどもと過ごすことが苦手

と降参するのにはエネルギーが要りました。笑

 

で、どんな風に苦手なのか自分で分析したところ

 

やりたいことできない

 

っていうのがおおきかった。

 

 

わーわたしが一番こどもだったー。

自分にガッカリ。笑

 

 

 

でもねこれ

 

お母さんたるものは自分のやりたいことを我慢してこどもとの時間を優先しなくてはいけない

 

って勝手に自分で制限かけてたんだよね。

 

そして、口から出る言葉は

 

「あんたのために我慢してんだから」

 

そして

泣いたり怒ったり

アレ欲しいこれ欲しい

これはイヤ、だの

欲望に忠実なこどもたちにイライラ、、、

 

「かあちゃんはあんたたちのために我慢してんだから、、、」

二度目。笑

 

 

 

お母さんはこうでなきゃいけない

お母さんはこうしていることが子どもにとって望ましい

お母さんは

お母さんは

お母さんは、、、、、

 

 

あーーーーーもうなんじゃそりゃーー!

そんなこと誰が決めたんじゃーーー!!!

 

じゃあさ、いっそのこと我慢せずにやりたいことやったらいいんじゃない?

それで爆発するくせになにをいい母親ぶってんじゃねーよと自分に言いたくなった。

 

だれかに猛烈にしてあげたいって思ってることは

実は、自分が自分にしてほしいことだったりする。

 

こんなことしてあげたい

 

って思うことが子どもに対してあるなら、まずは自分にしてあげる。

 

自分が自分に勝手に課した

母親はこうあるべき

の鎧をどんどん外していった。

 

 

お母さんだって自分のペースを大事にしていいし

お母さんだって好きなことしたっていい。

 

 

そんなでも、お母さんでいい。

 

っていうかお母さんなんだ。

 

 

 

 

あと、


子育てが苦手、というのは錯覚しやすいところがあって

 

それは、我が子が愛せない、っていう感覚。

 

いやいやいやいや、愛してるんだよね。

 

でも、思い描いてるように愛せない、だけ。

 

こんなふうに

あんなふうに

過ごせたら、って。

 

でも、

・わたし自分の子育て

・自分自身の親との関係の修復の過程

 

でものすごく感じたことがあって

 

わたしの引き出しにしかない愛のカタチ、以外のカタチがたくさん存在してたってこと。

 

わたしは親にこうして欲しいとおもってた

けれども親はそうしてくれなかった

 

それはわたしを愛していない、とはイコールにならないもんね。

わたしが大人になるまで、いや、大人になってもなんらかの形で愛情を投げてくれてる。

 

 

もしかしたら一番の罪は、母親が自分を裁くことなのかもしれないなあって感じてる。

 

自分を裁くエネルギーって

自分に向けたナイフって

気づけばまわりにも振り回しまくってるもんね。

 

(わりと無差別に、そして鋭利に。笑)

 

だから、子育てが苦手なりに親子の時間や関わり方をクリエイトする必要があるってこと。

 

 

 

あー子育てとか向いてなさすぎる、、、、

 

と嘆いていたときに

 

いいじゃん別に、それなりに組み立て直せば

 

って言葉にハッとさせられた。

 

世間一般に求められる理想の母親像に一番とらわれてるのはこのわたしだったわけで。

 

 

・引き受けてもらえる部分はどんどんだれかにおまかせする

・一緒に楽しめることはとことん楽しむ

 

シンプルにいってしまえば

 

いいとこどり

 

である。

 

それで、いい

と自分にゆるした。

 

 

ムカつくよーそんなお母さん超ムカつくよ。

だっていままで信じてやってきたことがガラガラと崩れ落ちるんだから。

パートナーとの生活もね。

 

でも、そこにいつもヒントがあった。

 

別に暮らしてるパートナーと放課後過ごすこどもたち、夕食さえもそのまままかせて

こどもたちだけお迎え行にいって一緒に寝て、朝、お弁当つくる、送り出すまでがわたし担当。

あとは一緒にお出かけしたり。

 

 

 

ちょっと前のわたしなら、それをするにはたくさん働いてなきゃいけないって思ってた。

こどものことを誰かにお願いするには、理由がなきゃいけないって。

 

彼に、「なんで?」って言われた。笑

 

それよそれ。

自分の頭の中に誰が決めたのかわからない固定概念として存在している

「なんで?」っていうことがありすぎるんだ。

 

そこをどんどんぶち壊しにかかる。

 

なんで?って思うけど自信が持てなかったことも、感覚は間違いなかったことにも気づく。

 

そうやってどんどん、お母さんの鎧を脱いでいくことが

結果、お互いにとって楽になれた。

 

だって、自分がいい母親かどうかっていうのを常に自分で過干渉になっていると

子どもにも過干渉になってくんだもん。

そんなつもりなかったけど、実際にはそうでした。

 

見張ってる感じ。お互いにとって苦しいよね、、、

だったらいっそのこと全く別のカタチにしちゃったほうがよかった

我が家の場合はそうでした。

 

子育て苦手でもお母さんでいいし

お母さんから逃げたっていいし

自己嫌悪にだってなっていいし

自己否定だってしていい

 

それでもこどもを産むこと選んだんだから

その中で一番ベストなカタチを創っていくことにパワー注いだ方が建設的。

 

しかも、わりとどんなカタチでも大丈夫。

アイデアは無限大。

 

その作業って、自分に真正面に向き合うことだし

たくさんたくさん家族やその周りとも話し合うし

なかなか実りある時間。

 

 

子育ても結婚も向いてないわたしだけど

その中でどうかたちづくるか、が楽しいし

 

きっともっとラクにだれかと同じ方向を向いて生きていくことが出来るような気がする。

 

お母さん向いてない

苦手

もうやだ

 

って口にしたっていいんだよ。

 

いいじゃん、それなりに組み立て直せば

 

ぜんぶぜんぶ、それでよし。

 

 

来月は関東へ!

会いに来てくださいませませ!