わたしは今まで、いろんなおうちに住んできた。

東京、京都、高知、三重、埼玉、兵庫、、、、

の中で、通算20回のお引越し。

今は5年目の兵庫での生活。

こどもたちの通うオルタナティブスクールがあって

小学校が合わなくてホームスクーリングをしていた長男が小1のとき(現在小6)に<ここなら明日からでもいきたい!>っていうので

即決で引っ越した。

 

しかもこの5年のうちで、三つ目のおうち。

今までのわたしには考えられない

<持ち家>

に住んでいる。

 

子どもたちのスクールは18歳まで通えるし、飽きるまで通うのだろうし

しばらくは兵庫に住んでいるのかなと思って安い空き家を購入し

手直ししながら住んでいる。

 

 

 

いままで、なんでこんなに引っ越ししてきたかというと

単純に

 

ここがいい!

 

っていう場所にたくさん出会ってきたから。

 

おうち、空気感、景色、コミュニティなどなど。

 

自分本位であちこち引越しを重ねてきたわたしについてきてくれたたくましい子どもたちだったけれど

 

兵庫での暮らしはこどもたちに導いてもらったようなもの。

 

今になって、あの場所も、この場所も、直感に従って行きたいように動いてよかったと思わせてくれる景色を見せてくれている。

どこへも行くべきだった、と。

 

 

 

振り返れば、住むべきところだからこそ

おうちが用意されていた。

 

っていうほど、いつもちゃーんとおうちが見つかる。

おうちの神様がついてるなあっていつも思ってた。

(なんなら、仕事も、車も、人間関係も)

 

でも、もう一度よーく振り返ると

 

 

住みたくても住めなかった場所

 

っていうのも存在する。

 

 

どう頑張っても無理だった。

 

でも、住むべき場所にはトントン拍子で決まる。

 

 

 

今まで二つのパターンがあったとおもう。

 

1、どう張っても無理だった

 

これはたとえば、交渉したけれども、他の候補者のほうが家主さんにとって好条件だったりした

突然連絡がとだえた

お金の工面額が現実的じゃなかった、などなど

 

2、ここに住みたいの純度が低い

 

これは、いろーんな問題を挙げてそれを悩む。

保育園がどうだとか

仕事がどうだとか

 

挙げればきりがない外側の問題を引っ張ってきてた。

 

住むべきところを選ぶとき

これらはもうどんな手を使っても解消している。笑

 

 

これって、なにかを始めたい、とか

新しいステージに進むときによくあること。

 

やりたいことはどんどんやってしまうわたしだけれど

進むか進むまいか悩む時もたくさんある。

 

そんな時は自分の中で純度が低いがための言い訳をしていないかどうか

を考えてみてる。

 

いろいろと問題を浮かべる時は

 

たいしてやりたいことじゃないんだな

 

って思うようになったし

 

むしろそのきりがなく挙がってくる問題を目の前に並べて

わたしがわたしに見せたい景色ってなんなのだろう

と考える。

 

例えば、

パンとおやつの店らくだを始めると決める前

あちこちうたいに飛び回ろうと決める前

 

ぐじゅぐじゅと言い訳をして悩んでた時があった。

 

 

体力仕事だから体調が心配

もう少し子どもが大きくなってからの方がいいのかな

 

 

などなど、

 

でも奥底には

 

 

パンおいしくないって言われたらどうしよう、、

だってべつにどこで修行したわけでもないし、、

(一応製菓学校は行って、パン屋で働いて基礎はあるけれど)

 

こどもたち放っといてあちこち歌いとびまわるだなんて

無責任なとんでもないお母さんと思われるのがこわい、、、

 

とか、他人からの評価を気にしているわたしがいて

体調とかこどものこと使って言い訳してた。

 

そしてわたしの場合

 

やりたいことをやりたいようにやるなんて世の中そんなに甘くない

 

を自分自身に一生懸命証明しようとしていた。

 

自分に厳しすぎて、思うように羽を羽ばたかせるどころか、羽を伸ばすことすらも自分にゆるしていないわたしが自分に見せようとしている景色。

 

(そのときそのときでいろいろと証明したくて見せようとしている景色いっぱいあったなあ。

おうちのことだけじゃなくて

恋愛とかパートナーシップだったら

ほら、どうせ愛されないわたし、とか。

おかげさまで気づいては書き換えまくってきてるけれど。)

 

 

そういう、自分が自分に抱いている前提に気づかせてくれるために

 

ここに住みたい!

これやりたい!

この人好き!

 

とかが

<どうぞこれをつかって味わってね♡>

って目の前に現れている気がする。

 

とおもったら、その目の前に現れたそれらで湧き起こる気持ちを観察してみるのすごく大事。

 

それによって、どんな気持ち、感覚がほしいの?

って。

それがわかると、

べつにわざわざ物理的にうごかなくてもここで簡単にステージが変えられたもする。

(わたしにとって引っ越しは規模の大きな模様替え。

あの、なんかすっきりした、っていう気持ちがほしかったし

ぜったいたのしいもんここ!

っていうときめきで動いてきた。

そう、わたしはいつもときめきがほしいひと。笑

その純度高すぎて新しい土地でもいつもおうちも仕事も車もみつかってきた)

 

 

そして、ほんとうに住みたい場所、やりたいこと、一緒にいたいひと

なら、わりとすぐアクションおこしてる。

 

悩んでも、前に進んでる。

 

それが、純度が高いってことだし、

結果、引き寄せてた。

(ありとあらゆる手を無意識に尽くしていたりします。笑)

気づいたら手元にあったわ♡

 

っていう状態。

 

 

 

 

あと、それでもどうしても悩む時

それを選んだ先の自分の身体感覚を想像してみてもいい。

 

なんか、しんどそうだったらわたしはやめる。

 

 

 

 

 

あと、忘れちゃいけないのは

 

 

結果うまくいかなかった決断は、負債じゃない。

 

だからこそつながるご縁だったり次のステージだったりっていうのもたくさんある。

 

大なり小なりのリスクはなにをするにでも付きもの。

 

感じてきたこと、こなしてきたこと、挑戦してみたこととか

経験値にまさるものってないなあと感じてる。

 

 

 

 

 

思い描く次のステージに

飛び込んでも、飛び込まなくても正解。

 

外野がうるさいならそれは自分が自分にうるさいのが反映されてるだけ。

 

 

 

なにもいわれなかったとして

最終

わたしはどうしたい?

 

で決めちゃっていいとおもう。

っていうかそれしかないと思ってる。

 

 

 

 

飛び込むも飛び込まないも

 

決めて動けば、だいたい大丈夫なようになってるよ。

 

 

そう思うと、「決める」ってその時点で自分のエネルギーもステージも変わるんだろうね。

 

最近、あたらしいステージへと移行しようということがみんなシンクロしていて

こんなことを書きながら、わたしもどんどん湧いてくるつぎのステージへの展望を眺め続けてる。

 

 

それに対する純度と

それによって自分が自分に証明したい景色

 

を見つめ直すいいチャンス。

 

だれかの口から出る言葉はわたしのわたしへのメッセージだったりするんだよね。

ありがたやありがたや◎