わたしは昔から、

 

 

恋人に100パーセント愛して欲しいってもとめる。

 

 

どこまでもどこまでも愛して欲しい、って。

 

 

頭ではそんなことは無理だとわかってても

100パーセント愛して欲しいのだ。

 

 

今のパートナーにも、例外にもれずそれを強く求めてた時期がある。

 

それが出来ないなんて愛してないに等しい!

くらい極端に思ってしまう。

 

そんなはずはない、というのも、頭ではわかっている。

 

 

 

これに関しては

思春期の頃に出て行った父とのあれこれが未消化で

こうなってしまうのも無理はないと

自分の生い立ちを理解しつつも

 

それでも生きているのは今ここなのだから

今ここの目の前の人や出来事との関係性を気持ちよくしたくて

わたしなりに向き合ってきた。

 

 

「100パーセント愛して欲しい」

ってさ、

じゃどうすればその基準が満たされるのかって

ちょっと自分でもよくわからない。

 

 

責任、みたいなものでも追い求めてるのかもしれない。
超こわい。笑

 

 

しかも、それをパートナーだけではなく

恋人全員に求めてたのだから大したエネルギーだ。笑

相当な怒りを抱えてらっしゃる。笑

 

 

 

要約するとこちら

 

わたしが欲しいカタチでちょうだい

わたしの思うように愛して

わたしが満足するように愛して

 

 

小さな子どものように振る舞う姿は

超絶重たいオンナだと思うけど

 

 

ヒーローになりたい男性や

ドラマティクで絶叫マシン的恋愛が好きな男性からは

まあそれなりに需要があった。笑

 

 

 

もう付き合う前から

わたしと恋愛するということはそういことですのでどうぞよろしく
と説明してからスタートする。

始まって、想像以上のロデオぶりにおののく男たち。笑

 

別れるひともいれば
やりがいを感じていい距離感で続く人もいれば

様々だった。

 

 

まあそれでもパワフルだから

 

『もっと穏やかな恋愛が出来たらな、、』

 

と頭では思いながら

 

ごめんだけどわたしは

健全なパートナーシップを築く前に

気がすむまで振り回す重たいオンナでいたかった。

 

 

『このままじゃ、一生100パーセント愛されないのかもな、、』

 

っていうのがいつもどこかつきまとっていたから
どうにかしなきゃな

 

と頭では思いながら

 

やっぱりごめんだけど気がすむまでやっていたかった。

(だから100パーセントってなんなんだよ。笑)

 

心の底では

いい子になんてなるもんかあっかんべー、ってしてる。

 

 

 

で、100パーセント愛されることを渇望しまくって思ったこと

 

 

 

100パーセント他人を愛するなんて
無理なことだ。

 

やっぱここ。笑

 

 

人生で一番、この親密感をもってこのロデオなわたしを許容し続けている20歳のパートナーでさえ

むりな話なのだ。

 

 

恋人というラベルを獲得したから

結婚という契約をしたから

それが叶うわけでもないよね。

(今回再婚の動機にそれはなかったけど)

 

わたしだってそうだ。
相手にはそれを求めるくせにそんなの無理

絶対無理だ。笑

 

 

 

で、
気づいちゃったんだけど、その100パーセント愛してくれない

に、いつのまにか

<わたしだから>

をくっつけていたというとこ。

 

 

いやいや

まわりの人のエネルギーの矛先や使い方を眺めていると

100パーセント他人を愛してる人なんて一人もいないぞ。

 

相手がわたしじゃなくたって無理なわけだ。

 

 

さらにつきつめれば

<〇〇なわたしだから>

って、、ぎゃーこれまた条件まで引っ張り出して

愛されないを証明しようとしてるというなんとも恐ろしい、、、。

 

 

 

 

元旦那とこどもの養育費をめぐってもめた時も

そういう自分責めに陥ったことがある。

 

でもさ、【養育費とかもういいから、自分の幸せのために生きて】

って手放した瞬間

すごく良好な関係になったんだよね。

 

 

いくら人生が交差して、愛し合おうとも

相手には相手の人生があって

自分には自分の人生がある

それは、決して侵すことのできない領域なのだな

 

 

っていうのが手に取るようにわかった瞬間だった。

 

 

でもさ、一瞬わかったところで

それがずっと続くわけでもなく

 

まーた簡単に100パーセント愛して欲しいが出てくるわけだよね。

 

もうやんなっちゃうな、って思うんだけど

 

目の前のパートナーと

わたしのロデオぶりを体感したことのあるラベルのない人たちとの関わりの中で

 

●どれだけこのひとたちなりに投げてくれてる愛があるかどうか

っていうのを受け取るセンサーの精度を磨きつつ

●受け取るこちらの箱の修繕をしつつ

 

毎日を送っているわけです。

 

 

 

でね、センサーの精度をあげるだけじゃなくて

 

この、受け取るこちらの箱の修繕

 

これがめちゃくちゃ大事だった。

 

 

どれだけ愛されてても、底なしにすり抜けていってしまうんだもの。

 

そして、わたしを100パーセント愛せる人なんていない

って思ってたけど

いるんだよね実は。

 

 

 

 

わたし自身だよ。

 

 

 

 

 

相手に愛されるわたしになるよりずっと手っ取り早く取り組めること。

幸福度を上げられること。

 

方法は

 

ひとつひとつの感覚と感情と

条件つけない自分を受け入れてあげること

 

それできるの

自分しかいなかったし

この作業が、箱の修繕になる。

 

 

なんだかんだいったって

わたしもまだまだ他人から愛されて自分の価値を確認してる。

 

ほしいカタチで愛されることによって、相手の愛を確かめてる。

 

 

 

でもね、手のかかるオンナなりに

 

 

生まれてからこのかた大きく愛されてきた自分の感覚に戻ってく作業は

 

わざわざ

死ぬまでずっと取り組んであげるんだって

それだけは心に決めてるんだな。

 

過去は変えられないけど

大人になったわたしは、今のわたしにそれだけはしてあげられるもんね。

 

地道に取り組んでみて

自分の見えてる景色が変わっていくのをみていると

 

ここに生きてるって

大人になることを受け入れるって(まだそこの段階。笑)

捨てたもんじゃないなって

 

思えてきたよ。