泣いたり笑ったり怒ったり忙しいこどもたちと
わたしも一緒にそんな日々を送ってる。
ひとつひとつの感情がつよいし、こころの動きに敏感だから
ネガティブさんともよく一緒に過ごしている。
もう無理して、<だいじょうぶ>って言いたくないし
しんどい、も
いやだ、も
かなしい、も
さみしい、も
むかつく、も
いーーっぱい認めて外に出してあげたい。
こういう気持ちたちって、
大人になれば
誰かと過ごしてたら
やりたいこと出来てたら
なくなるのかと思ってた。
克服したり、乗り越えたりしなきゃいけないものなのかもと思ってた。
穏やかにやり過ごせてこそオトナなのかと。
とんだ勘違い。
むしろわたしは、大人になればなるほど
出来ないこと
きらいなこと
むかつくこと
さみしいこと
かなしいこと
を強く感じるようになった。
というのも、
ちゃんと、感じて
寄り添ってあげよう
って思うようになったから。
そうやって過ごしてきて数年、どんなふうにネガティブさんと付き合ってきたかを書いていこうと思う。
<しんどい時>
これは、心も体も。
まず、疲れてることを自覚する。
まず、ひたすら寝る。
やりたいことでいっぱい、だとするならば
なにもしない、をしたいとき。
気がすむまでよーく寝たら
外に出て体を動かしてあげる。
チャージしっぱなしでも腐ってく。
エネルギーって動かしてあげないといけないんだ。
●あたたかいお風呂にはいる。ふかふかのお布団を用意する
肝臓(右側の脇腹)と腎臓(左右の背中あばら下、腰より上らへん)のお手当をする。
<いやな時>
まず、いや、を自覚する。
そして、いやだと口に出す。
ひとりのときでもいいし、紙に書いてもいい。
わたしはわりと口に出す。
相手に面と向かって言う時もある。
車の中で、あーーーいや、って言ってる時もある。笑
その物事や人、に関わらない、引き受けないことも多い。
余裕があるときに掘り下げる時もあるけど
とりあえず離れて考える。
記憶がパターン化してるときもある。
でも、意味なく、生理的にいや、っていうこともある。
もうそれは仕方ない。いやなものはいや、それでよし、としてる。
●耳や頭のマッサージをする。嫌だと思うとわたしは緊張状態になるらしく頭が痛くなるから。
<かなしい時>
(なんか聞いたことあるフレーズ。)
まず、これもちゃんと感じ切る。
大概は、過去の心と体の記憶が絡んでる。
でも、まず、いまここで起きたことでかなしいを感じ切る。
いーーっぱい泣く。
悲しいときは、泣き足りないときかもってこれでもかと泣く。
●舌骨(のどもと)と、胸元、肺らへんのお手当をする。かなしい、はがまんすると咳になったりする。
胸元をさすってあげてもホッとする。
<さみしい時>
まず、さみしい、を自覚する。
さみしい、って、だれかとつながりたい、一緒にいたい、っていう本能的なもののような気がする。
でも、わたし、がここにいるから感じること。
在るから感じること。
じぶんが存在してるってことを、自分自身が気づいてあげること。
わたしがついてるよ、ここにいるよ、だから大丈夫だよ
って。
鏡で自分の姿をじーっと見ることもある。
これは、パートナーができても、友達と居ても、家族といてもなくならない基本装備の気持ち。
お気に入りの服を着て、メイクして、お出かけしたりする。
●誰かをハグするように、自分を抱きしめる。自分の肌の温もりを、かんじてあげる。
<むかつく時>
まず、むかつく。笑
これこそ、ココロと体の記憶で反応することが多い。
しかも、むかつく、の奥に気づいて欲しいことがある。
それを怒りでごまかしてること。
だいたい同じようなパターンをくりかえす。
そして、掘り下げてみると、自分自身に怒ってることも多々ある。
怒りながら、相手にぶつけながら
(それ、お前もな、、むしろお前がな、、、)って自分自身に怒ってたり、笑
言いたいことや伝えたいことがあるのに、それを言わせてあげてなかったり伝えさせてあげられてなかったり
自分に、めっちゃ怒ってる。
相手に浮かんだ気持ち、暴言でもなんでも、一回口に出してみるといい。
それが自分への伝えたいこと。
紙に書きなぐる、でもよし。でも、一人の時でもいいから口から吐き出すとすっきりする。
●白湯を飲む、肝臓のお手当。だれかに背中をさすってもらう(肩甲骨と肩甲骨の間ブラジャーのホックのあたり。)
<悔しいとき(嫉妬してるとき)>
誰かをみて嫉妬するときは、自分の中に同じ可能性を見出してる。
そうじゃないときは、嫉妬すらわかない。笑
わたし、こんなふうになりたいんだ!
を教えてくれるアンテナみたいなもの。
自分を知るためのすごくいい感覚だったりする。
自分の中の良さや魅力を素直に受け取れてなかったり。
嫉妬心ってするのもされるのもいやだったけれど、最近すごくおもしろい。
それを元に、自分の魅力を見直してみる。
番外編<死にたい時>
文字にするとヘビーだけど、わたしは双極性の脳みそでアップダウンが激しいので、ハイからローへギアが移動した時の落差が生じた時によくある。
でも
実は
死にたい、は、生きたい、の裏返し。
強く強く思えば思うほど
○○な風に生きたい、って強く思ってる時。
思うようにいかなくて、今のわたしを終わらせたくて葛藤してる。
だから
生きたい、のに、死にたい、で脳みそがごまかしてたりする。
でも、死ぬつもりで、準備する。
死ぬことを一旦受け入れる。
いままでのわたしに、頭の中で一旦死んでいただく。
そうすると、いまここに生きてる輪郭がはっきりする。
どうせいつか死ぬし、でも今はせっかく生きてるし、この身体にたましいがあるうちはもうちょっと楽しもうって思えてくる。
●無心になるまで、外を歩く。明日死ぬつもりで、生きる。
ざっと、こんな感じです。
たいがいは、
2、3分、ネガティブさんと本気で抱き合って細胞いっぱいに感じ切ると
ふわふわふわ〜って空に昇華していく。
だから、安心して感じていようって思うし
ネガティブなことって悪いことじゃない。
むりにポジティブでいるほうが毒だったりする。
すりかえなくていいから、
認めてあげて
感じてあげて
抱きしめる。
ぜんぶぜんぶ、それでいい。
感じちゃいけないこと
思ってはいけないことなんて
ひとつもない。
外側の出来事はいっつもおまけ。
自分の真ん中の本音の部分に出会いたくて
次なるステージに脱皮したくて
ネガティブさんはやってくる。
忌み嫌うものでもなくて、きっと手を繋いで付き合っていったらいいんだろうね、
その度に疲れるし、投げ出したくなるけれど
たくさんいたわってあげて、だれかとつながって
ひとつひとつ波に乗っていくとしよう。
イロトリドリの感覚がある、って
「生きてる」ってこと。
でもこちら、こどもたちがアルミホイルをきれいにきれいにまるめた球。
これを踏んで滑ってこけた時
これが飛んできて顔に当たった時
は
ココロと体の記憶とか抜きに、むかついた。
そして、泣けてきた。
この銀のかたまりによる被害件数ったらない、、、泣