安心の場所、愛される場所はいつからでも建て直せるよ。

 

この記事の中にあった、

小さい頃の強烈な記憶。

 

両親が離婚し、いつも小学校から帰ってくると「おかえり」って出迎えてくれた

祖父母もろとも突然出て行ってしまい

 

夕日が差し込む家の中で、

 

いない

いない

おばあちゃんどこー

おじいちゃんどこー

 

って泣きながら家中を探したわけだけれど

 

 

子どもって、環境適応能力が高いからなのか

 

数日したらその悲しみさえも忘れてて

普通に日常を送りだす。

 

 

大人より、けろっとするの早いんじゃないかな。

 

 

先日パートナーに

 

綾乃さんのその出来事と、中学の時の強姦事件

「PTSDだよねそれって」

(PTSD=心的外傷後ストレス障害)

と言われてそんな大したもんじゃあないって思ってたのに妙に納得した。

 

 

 

自分の中に安心感を築きにくいことや

男性に対しての不信感(正確には男性と一緒にいるときの自分のセルフイメージの悪さ)は

 

たしかに、この二大事件はその後の人生の中でも大きく影響していったところだったと思う。

 

 

子どもの頃のあのケロっとなるのって

 

わーーーーって泣けるから感情を感じ切るのが上手なのと

 

逆に場合によっては大人より、より本能的に生きてるからこそ働く防衛本能でもあるのかな。って。

 

感じすぎてたらやってられないから。

 

 

 

 

いつだったか、 あの日の夕方を思い出してたら

「なんでわたしの気持ちもっと大事にしてくれないの」

とあの頃のわたしが出てきた。

 

それは置いていかれた怒りもあるだろうし

 

 

適切に悲しさを感じて寄り添ってもらえなかった怒りだ。

 

だから

あの頃のわたしにつながって悲しみ直す作業をしてた時期がある。

 

 

もっと特別なこととして扱ってもらいたい案件、だったわけだよね。

 

 

いつかいい思い出にでもなるだろう、ってどこかないがしろにしたんだろうし

 

いやいや、思い出にする前にきちんとお葬式くらい悲しんであげないといけないことだった。

 

 

失恋とか、誰かと離れる亡くす、ってく喪失感にはこれくらいやってあげた方がよくて

これはその後失恋に大いに役立った。笑

 

 

 

もうちゃんと悲しんでいいよ

もう私大人になったからあなた(小さい自分)の悲しみを受け止められるよ

 

って。

 

悲しくていいし

忘れなくていいし

とにかくとことん悲しませてあげること。

 

 

あの頃には小さくて出来なかっただろうし

いつもいつも感覚のどこかにくっついてるこの悲しみがなんなのか

 

むしろ「悲しみ」っていう名前が付いてる感覚であることすらわからなくなっていて

 

それを受け止めてあげる作業をしてからいろんなことが好転していった。

 

 

 

 

 

 

 

感情って、ちゃんと量のリミッターがある。

 

だから適切に感じてあげると、過ぎ去り方はスムーズだ。

 

 

完了させてあげる。

 

 

 

逆に

 

感じるのがいやで、どうにかして感じないようにしようと、忘れようとすると

 

大きくなっていくし、ひきずる。

 

 

 

 

わたしに湧いてくる感情はわたしにとって全て正しい。

だから

 

怒りときにはちゃんと怒ること

悲しみたいときはちゃんと悲しむこと

怖いときは怖がること

嬉しい時は喜ぶこと。

 

 

いつからでも小さなことからでも出来ること。

 

 

感じられるタイミングもあるだろうけど

 

鮮度のいい時に感じてあげたほうが後腐れない。

 

感じないこと、が癖になってるひとも多いからね。

 

自分が、感情を出すことすら自分に諦めちゃうんだ。

 

そうなると、うつ、になる。

 

 

自分の中のいろんな感情と鮮度、大事にしてあげたいね。

 

 

生きてる、って感じられるバロメーターだし

 

自分と、周りと仲良くなれる作業だよ。